社会で生きたい呪術廻戦と個人の幸せを守りたいチェンソーマン

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「grips0087はどうした…」
「多分…溶けて蒸発してしまったのでは…(執筆意欲的な意味で)」
「いました!gripsです!!」

 はい、いました。
世はまさに大ユーチューブ時代、
 もはやブログでアニメを語ってどーのこーのという時代ではなくなってきたようです。
隔世の感がありますが、書きたいことができたのでかつてのようにブログを使ってみます。
例えそれが夢を忘れた古い地球人のような行為であっても…(何言ってだこいつ)

呪術廻戦とチェンソーマン

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今話題の2つの作品です。
「人間の負のエネルギーが象徴的に具現化した敵と戦う」
「主人公が敵と同じ力(あるいは敵そのもの)を体に宿している」
「敵の親玉の破片を集めることが大きな目的の一つ」
など共通点が多い両者。
同じ雑誌で同時期に連載するには題材がモロ被りすぎて
絶対どちらか潰れるだろうという私の危惧はどこへやら、
両者ともに人気作となり片方は綺麗に(?)完結までしてしまいました。
同じような題材を扱いながら、まったく質の違う作品であったことが
その理由だと思いますが、では具体的にどこがどう違ったのか
「批評家もまた批評されることも覚悟しながら、批評」していこうと思います。
唐突にタイトル回収で最終回感出すのやめろ

理性的な呪術廻戦と本能的なチェンソーマン

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呪術廻戦(以下呪術)は典型的なジャンプ漫画の約束を真面目に守り、
過剰なほど丁寧に必殺技や戦況の解説をしてくれます。
一方でチェンソーマン(以下チェンソー)は見開きバーン!で技名も何もなく、
絵の力だけで勝負しています。*1
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このあたりは、エンタメが溢れ、ジャンプ漫画の歴史も長大となった現在、
ジャンプ漫画(あるいは少年漫画)の過去の「お約束」と向き合った結果なのではないかと思います。
 呪術の場合は
「ジャンプ漫画特有の必殺技と解説の連発を、過剰なまでに踏襲」
という形で、
ハンターハンターの過剰なナレーションや
ジョジョ特有の長いセリフの変形、あるいはグレードアップ版として
「解説芸」を確立しています。
チェンソー
「上記のお約束ガン無視」で、
ジャンプのお約束を極限まで削ってなお、
友情や努力といったジャンプ漫画らしさを発揮できるか?
という挑戦のような気がします。

以上はそれぞれの作者さんの方針、売り出し方というような
メタ的な視点ですが、
作品内の世界観で見ても対照的な点が多いです。
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呪術の主人公の虎杖君は基本的に明るい性格で、
小島よしおの真似をしながら箱から飛び出すこともある陽キャですが、
友人について本人に見えない配慮をするような、理性的な裏の顔も描写されます。
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一方でチェンソーの主人公であるデンジ君は
「ちゃんとしたものが食べたい、女の子と付き合いたい、エッチなことがしたい!」と
本能のままに動きます。*2
どちらの作品も、理性だけ、本能だけというわけではなく
デンジ君も裏で考えていたことを告白する理性を見せる場面ももちろんあります。
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逆に、普段は人間関係や社会性を重んじているキャラクターたちが
修羅場の渦中でやっと本能の感情をさらけ出すのが呪術です。
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理性メインで裏に本能があるのが呪術、
本能メインで裏に理性があるのがチェンソーと言えそうです。

社会で生きたい呪術と個人の幸せを守りたいチェンソーマン

呪術の売りは、美形の男性キャラはもちろんですが、
考察意欲を刺激する難解かつ詳細に作られた世界観や
戦いにおけるゲーム的な駆け引きが人気を集めています。
どちらかといえば、一定のルールを作って統一性のある世界を描写したいという
「理性」の作品といえます。
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チェンソーの売りは、デンジ君のあけすけな態度や
思春期爆走中の恥ずかしい行動、
それに巻き込まれつつもデンジ君の突破力にだんだん感化されていく
周囲のキャラ、というような点で、「本能」のエネルギーを見せようとしている作品です。
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もちろん呪術でも本能の発露がキーとなる場面はあるのですが、
非常に強い呪縛として(このあたりはやはり「呪」術廻戦なのでしょうが)
「この社会の中で自分は何ができるか、どんな役割があるのか」という強迫観念にも似た社会的欲求があり
どちらかというと個人の欲求は抑制すべきものとして描かれているように感じます。*3
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一方でチェンソーマンはそういう話があまりありません。
とにかくデンジ君が知能的にも金銭的にも社会的に弱い立場であり、
今日を生きていくのに精いっぱいで自分の果たせる役割とか考える暇がないからです。
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公安に就職してからは生活の心配はなくなりますが、
そこでもデビルハンターという職業は明日死ぬかもしれない
苛烈な職場環境であり*4
社会を意識する余裕はなく、「厳しい社会の中で、せめて自分が得られる幸せは何か?」というところに焦点が当たります。
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主人公が体に宿すスーパーパワーの扱いについても対照的です。
呪術の宿儺は虎杖君にとって有用なパワーであるというよりも
制御不能な危険因子という面が強く描かれてきました。
そしてついに14巻では、
宿儺の手によって大規模な悲劇が起きてしまいます。
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とらえ方は色々あるかとは思いますが、
宿儺の暴虐とは虎杖が第1話で
「伏黒や友人を助けたい」という我欲(本能)を優先し、
通常なら甘んじなければならない運命(理性)を捨てて
抜け穴的に利益を得たことに対する報いとも考えられます。

少年漫画にありがちな超人的な力による逆転劇に対しての
自己批判のようなものを感じて、
なんとも真面目な漫画だなあと思わされます。

つまるところ虎杖が体に宿しているのは本能、
もしくは本能に起因した罪という感じになるでしょうか。
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一方で、デンジ君が体に宿すポチタは
「自分の夢をポチタに見せる」という約束のもとに
デンジ君に生きる目的を与えてくれます。
適当に食って寝て何も考えていなかったデンジ君は
ポチタに夢を見せるため行動するうち、「幸せとは何か?」という
視点を得て、社会に生きる人間らしさを獲得していきます。

呪術の価値観は、
社会の中での気配りや分別に重きを置きつつ、
時に本能のまま動かざるをえない場合があることも承知している、
しかしそれは危険であり、我欲に従ったものには報いがあるのだと言いたげで、
真摯ではありながらも、この世の生きづらさを感じてなんとも切ないです。
チェンソーのほうは
一見破天荒な作風に見えながら、
体の中に宿した理性=誰かとの約束や社会とのつながり
が人間らしさを保つ最後の砦だと
いうポジティブな意味合いを感じます。
デンジ君の本能に対しても、生きるための推進力という感じで
滑稽ながらも基本的には肯定的に描かれているのが呪術と違って面白いですね。

昨今の社会情勢は非常に厳しいものがあり、
少年漫画にもその厳しさが表れていると言われます。
逆にいえば今のような状況で無条件に楽しそうにしている(ように見える)
主人公には感情移入できねーよ、ということなのかもしれません。
「社会の中でより良く生きようと働いてるが、めちゃくちゃキツイ」のが呪術で、
「社会がキツイから、程々にして自分の幸せを探してるけどやっぱりキツイ」のがチェンソーのような気がします。

まとめ

ジャンプ漫画の文法に挑み、新しいものを作ろうとしているという意味で
似ている両者。
しかしそのアプローチが真逆の方向でなされたため、
エンタメとしての材料が非常に似通っているにもかかわらず
まったく違う印象の作品となっています。
どちらの作者様もまだお若く、しかも同年代でお互い意識(リスペクト)もしているようです。
まだまだ先は長いですから、この先ジャンプ誌面でお二方が
良きライバル的に高めあい、傑作を生みだしてくれることを期待せずにはおれません。

・・なんかすごく無難なまとめをしてしまいましたね。
まるでヤフーニュースの量産型エンタメ記事のようです。
・・年取った?

*1:見開きで必殺技の名前とか載せるのだけは勘弁して・・と編集にお願いしてたという沙村広明先生の話を思い出します

*2:まあそうならざるを得ない劣悪環境で育ったせいなんですけど・・

*3:野薔薇ちゃんはそんな社会的役割の強制を拒否しようとがんばったりしていますが、それもやはり社会性の意識である

*4:ありがちですがブラック企業を想起してしまいます