夏の怪奇シリーズ 暗い映画の呪い

映画「ゲド戦記」は世間で非常に評判がよろしくないし、
自分自身、見てもあまり面白いと思えなかったんですが、
珍しい好意的な感想を読んでちょっと考えが変わりました。
http://bokuen.cool.ne.jp/index.html 内、
http://bokuen.cool.ne.jp/diary/200608.html#20060802(8月2日ほか)
映画「ゲド戦記」は神話であるとのこと。
そして、神話を語るさいには感情の表現はされないものであるとも。
一般的に、神話的な物語ではロジックやシステムが優先し、
感情は表現されないものなんでしょうか。不勉強でよくわかりませんが。
(そういえば日本神話も神は派手に泣いたり怒ったりするけど、
どうも作り物っぽいというか。登場人物というコマでしかない感じ。)
というわけで、神話的な物語である原作を下敷きにした*1この映画も
当然ながら、感情表現の希薄な映画になっていると。


記事の中でひとつ、この映画を神話として見たばあいの
解釈のしかたの例として挙げられていたのはアレンの剣です。
この剣をめぐるエピソードについてはエディプス・コンプレックスについて
知り、神話的物語として了解しなければならないと。
父から奪った剣が、魔法で抜けない→父を越えられない。
ある時剣がふっと抜ける→ついにアレンは父を越えたのだ、
という解釈ができるかできないかという話。
「なんで抜けないの?」「どんな魔法なの?」という質問は神話には通用しない。
そういう映画らしい。


さらに、「ゲド戦記」を楽しめないという人に対しての

アニメーションの生(=エロス=JOY)だけを認めて、
死(=神話性=シニフィエを欠いたシニフィアンりんたろう)を認めない、
まるでこの作品の主人公アレンに似ている。生と死をあわせ持ち、
決して分かつことのできないものがアニメーションにほかならない。

という意見に納得。
通ぶるわけではないですが、ぱっと見て楽しい映画のほかにも、
さりげなく表現されたメッセージを読み取り楽しむ映画もあるんですよね。
ゲド戦記」のばあいは後者であった。
でもそれがジブリブランドの映画として公開されてしまった(笑)。


見た当初は、こんな一般受けしそうもない映画に、天下の鈴木Pが
なぜゴーサインを出したのだろうと疑問だったのですが、
この映画にこのような見方もあることを知れば、納得もするのです(富野語)。


思えばもののけ姫のときも「家族で安心して見れるというジブリのイメージを壊したい」
と話していた鈴木Pですから、これくらいの変化球は投げますよね。
それにしてもこんな映画が全国の劇場で大規模に・・
映画エヴァ(夏)なみの大規模テロ*2かもしれませんね;

*1:僕は原作に対して神話的だとは思ってませんでした。理屈っぽい話だなとは思っていましたが

*2:なにも知らない人にトラウマを植え付けるという意味で