作画アニメの中の真実

「アニメの中の真実」by萩野昌弘@世界思想2006春
を読んでモヤモヤしてたのですが、
ふと攻殻DVDのブックレットを読んで、押井監督の発言に勇気付けられました。
その経緯。


萩野氏の論旨はアニメで活写できるものはもともと荒唐無稽なものであり、
実写に近いリアル志向の描写のアニメは要するに・・イマイチだと(文中だと『妙』)。
そして、アニメの荒唐無稽さを生かせば、殺人や暴力といった深刻な問題の原因を、
ときに超現実的な映像も含みつつ、『真実』として描写できる
可能性を持っているとの内容です。
後半は社会学者ならではというような内容で、とくに反論の余地もありませんが、
前半ですよ、前半!
引用すると、

こうして、アニメ本来の特徴は、実写の模倣によって失われることになる。
もし、アニメを通じて何らかの「真実」を表現しようとするなら、アニメを
実写に近づけ、また実写のドラマのような物語を作るのではなく、より積極
的にアニメの本来の特性を生かすことを考えていくべきであろう。(『世界思想』2006春)

萩野氏の論旨は決してアニメを貶めるものではなくて、
「アニメは実写に負けない媒体だけども、そのすごさを理解してもらうために
リアル志向で作るのはどうなのよ。アニメの強みである荒唐無稽さで勝負したらいいでないの」
ということであるのはわかるんですが、
そうすっと金田パースはよくてIG系のリアル作画はダメということに・・w


それでは黙っていられないので押井監督の発言もとりあげます。

―押井監督の作品に関してはよく実写的という比喩が使われますが、
(略)意識されてますか?
押井 そういう感じはないですね。
(略)それに、じゃあ実写はアニメーションより
現実的なのかというと、そういうことも言えないと思うんです。
(略)例えば実写の役者さんがあるキャラクターをやったとして、果たしてそれが
僕らがイメージしていたキャラクターに見えるのだろうか、と。その人には、
バラエティに出たりクイズ番組に出たり、そういうことが全部くっついて回るわけじゃないですか。
(「攻殻機動隊」DVDブックレット内インタビュー)

実写でできず、アニメで描写できる「真実」もありえるということ。
原恵一氏も「実写で時代劇をやると、昔の侍と今の役者は骨格からして違うので、
かならずしもリアルとはいえない」という旨の発言をされてました。
そしてアニメは(がんばれば)そういう骨格の侍を描けるんですよね。


上の押井監督インタビューの引用は反論としては弱いので、もうちょっと。
引用した部分のあとは、アニメでリアルさを追求する意味について語られます。
「アニメでリアル志向の映像を作る意味は?」かっこいいからか?
押井監督は、この中で「ドラマの内容と表現のレベルは合わせなければならない」という旨の
発言もされてます。
深刻なドラマをやるには、それなりに気難しい顔をした・・たとえばIG系のリアルキャラが必要ということでしょう。
そして、そのようなリアルなキャラは、動きもリアルでないといけないと。
萩野氏は、アニメで真実を描写するには、荒唐無稽な超現実的表現でなされるのが
ベストだと論じられてますが、IG系のキャラが演じる深刻なドラマの向こうにも、
荒唐無稽なところとは別の、独自の真実があると思うのです*1
その真実味を感じるには、作画マニア化とか、沖浦絵に慣れるとか、ちょっと敷居が高いかもしれませんけど。

*1:例えば攻殻のバトーは外人とも日本人とも人間ともロボットともつかない雰囲気がある。なぜならばアニメだから・・